検閲が始まった

<ネット殺人予告>「TDLで客刺す」 容疑の19歳逮捕
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080624k0000m040052000c.html

「渋谷で人を殺します」=ネット予告書き込んだ疑い
−16歳少女書類送致・警視庁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080623-00000039-jij-soci


秋葉原の事件があったから当然かもしれないけど、
ネットの掲示板に書いただけで逮捕されるようになったら、
もうネットはおしまいである。


どうやらIPアドレスから住所まで特定されるようになっていて、
いまに、「加害者はこんな本や音楽を買っていた」とかって、
amazonの購入履歴が発表されるようにもなるだろう。


これまでも技術的はやれたのだろうけど、
こうして実際に逮捕者が出てしまえば、
すべてはそちらへ流れていってしまうだろう。


憲法における思想・良心の自由とは、
「人間の諸活動は、人間の精神活動から生まれるものであるから、人間の内心の自由がなければ、表現の自由、その他の精神的自由、経済的自由も存立の基盤を失う。人間の内心自由は人類の持つすべての自由の基礎であり、他の自由権より厳重に守られねばならないとされている。
意義として、国民がいかなる思想・信条を持とうとも、それが内心のものにとどまる限りは処罰等を受けない。いかなる身分、国籍であっても、公務員、裁判官であっても、あるいは罪を犯したものであっても内心の自由は人類普遍の権利として保護される。」とある。(wikipedia


つまり頭の中でなにを考えていようと、処罰されることはない、
ということだ。


少なくとも戦後は、「本」に書かれたものというのは、この頭の中の延長線上で考えられていたため、なにを書いても処罰されることはなかった。
ネットも同じように考えられていたように思う。


いまの状況では、「若者よテロをやれ」(『昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫』)なんて本でも、書けなくなる日も近い。


また、最近成立した児童ポルノ法は、漫画やアニメの規制はかろうじて逃れたけれど、写真や映像を「販売」ではなく、
「所持」しているだけで(データでも)捕まるということになった。


いずれの場合も、「憲法違反ではないか」「これは検閲ではないか」、
という意見が出るかもしれないと僕は思っていたけど、
そんな言葉はいまだにどこからも聞こえない。


凄惨な事件を目の前にして、反対しづらい事柄ではあろうが、
ここはあえて反対したい。


言葉狩りから始まった「検閲」は、
思いもよらぬかたち、
つまり大衆自身が自らすすんでやるというかたちで、
いま本格的に始まった。