21世紀

20世紀とは、


「なにごとにも“正解”があった(あると思われた)時代で、
人は“正解”を求めるために本を買った」


橋本治は『日本の行く道』(集英社新書)という本で書いていた。
(本が手元にないので、引用は正確ではないと思います)


なにごとにも“正解”を求めるから、
20世紀とは「思想の世紀」でもあった。
20世紀末にへんな宗教に行ったのは、そのためだろうとも言っている。


活字離れ、というのは、1980年頃から言われたようですが、
これは「本」というものが古くなったというためではなく、
「“正解”を求めるためのものとして本がなくなった」、
というふうにとらえたほうがいい。
“正解”というのがなくなった現実の世界を、
本の世界が先取りしていたというのが、活字離れ、
という現象なのだと橋本治は言っている。


いま、「本」というものが、20世紀的なあり方と変わりつつあるけど
(というより、すでに変わってしまったけど)、
それは20世紀のほうに実は問題があるかもしれない、
という見方だってできるわけです。


あらゆる難問を立ちどころに解ける万能な“正解”なんてあるわけじゃない。
考えてみれば当たり前のことだけど、
人々は21世紀になって、“正解”がないことに気づいた。


たぶん、いま、ネットなどで、
かつてないほど評論家やプロの物書きが
嫌われる理由はこれですね。
20世紀の揺れ戻し。そう思えば、納得できます。


また、21世紀は、
名前の出ない安全地帯で、シロート(とあえて書くけど)が、
自分の無知、不明を知りもしないで、
好き勝手なことを書くという時代でもある。
(これが作家や出版社の人間を傷つけているかを、知るどころか、
想像すらできないバカだと思うから、無視するに限るんだけど、
つい読んじゃうとへこみます。)


21世紀はいまのところ、ネットも含め、いろんな意味で
シロートの世界でもある。


シロートがシロートであることを前に押し出して本を書き、
それが売れているものだから、出版社は、そういう本をどんどん出す。
あとは団塊の世代に向けた本作りしかない。
おおまかに言うとこんな感じです。


出版社というもの自体は、文化的で、崇高なものでもなんでもなくて、
基本的には、売らんかな、でいいとは思うのだけど、
ウチ(フリースタイル)がやるのであれば、
そうじゃない方法をとりたい。
ただ、これは他社と同じことをしても、大手にはかなわないからで、
売れるものを否定しているわけではないよ。


僕もちょっと前まで、
いま、このシロートの時代に、きちんとしたものをやるとしたら、
ほかの会社がやっているように、
団塊の世代向けしかできないのかな、と思っていたのだけど、
21世紀的な本作り、というか、見せ方をすればいいと思った。


正直言うと、僕自身は60歳以上の人間に向けた本作りなんて、
したくないわけです。僕はまだかろうじて30代だし。


「『本とはなにか』を問い続けるところから、
21世紀に出版社を始めたところは、出版を始めなくてはならない」、
とかつてどこかで書いたか、しゃべったかしたことがありますが、
現実の方法としてどうやればいいのか、
ということをずっと悩んでいた。
この橋本治の本がいいヒントになりました。


未読の方は是非。

日本の行く道 (集英社新書 423C)

日本の行く道 (集英社新書 423C)